2015年の調査結果
第1期発掘調査
(2015年8月〜10月)
第1期の発掘シーズンでは、A、B、C、Dの4つのフロント(調査区)において、計46のクアドラント(方眼区画)の調査を行いました。
各セクションの建設段階を特定するため、それぞれの区画を遺構のない地盤(地山)に到達するまで掘り進めました。あわせて、発掘区画を含む調査エリア全体の完全な地形図と建築図を作成しました。
このシーズンでは膨大な量の考古資料が回収され、壁や床といった多くの建築遺構を確認することができました。
さらに、特定の分析手法に合わせた多様なサンプルも採取しました。
- 土壌サンプル:
植物遺存体を抽出するための「フローテーション(水選)分析」用 - 床・漆喰サンプル:
古地磁気年代測定用 - 炭化物・骨サンプル:
放射性炭素年代測定用
ここから、プロジェクト第1期調査の主なハイライトをご紹介していきます。
建築構造とその他の遺構
建設セル(Construction cells)
テオティワカンの人々は、床面を平らにしたり高くしたりするために「建設セル」と呼ばれる構造を作ることがありました。土や石を使い、広い範囲にわたって床の高さを最大1.5メートルも上げることがあったのです。これだけの規模の工事に、どれほどの労力と時間が費やされたか想像してみてください!
下の写真は、第1期発掘調査で見つかった一連の建設セルの全景です。
階段(Steps)
2015年度の調査で発掘されたエリアの一つに、「死者の大通り」沿いに位置する階段セクションがあります。この場所は、もともと19世紀初頭に修復・再建された箇所でした。
今回の調査では、再建された部分の内側から、この構造物のさらに古い時期のオリジナルの階段が発見されました。また、同じ発掘坑内からは古代の壁も確認されています。
階段(Stairs)
「石柱の広場 複合体」にある主要な基壇(マウンド)の一つから、大階段が姿を現しました。
下の写真は、中くらいの大きさの石を泥で固めて造られた階段の様子です。
壁(Walls)
2015年度の調査シーズンでは、さまざまな漆喰(しっくい)の破片や、色が塗られたままの壁がまるごと見つかりました。中には、いくつかの部屋の区画が鮮やかな赤色で塗られているものもありました。
この発見は、古代のテオティワカンの人々が自分たちの建物を色鮮やかに彩っていたことを物語っています。実際、テオティワカンの多くの集合住宅(アパルトメント・コンパウンド)には、今も保存状態の良いカラフルな壁画が残っています。
テティトラ(Tetitla)、アテテルコ(Atetelco)、テパンティトラ(Tepantitla)といった地区は一般公開されており、当時の色彩を間近で見ることができます。テオティワカンを訪れる際は、これらを見学するのも忘れずに!その美しさは、遺跡巡りの大きな魅力の一つです。
1,500年前、ここにはどんな景色が広がっていたのでしょう?
柱穴のある床(Floors with postholes)
フロントB(Front B)では、4つの簡素な壁と、**柱穴(ポストホール)**のある3つの床面が発掘されました。幸いなことに、これらの中層建築は非常に良好な保存状態で発見されました。
さらに、この遺構の最上層の土は焼けており、発掘坑の周囲には炭が散らばっていました。これは科学者にとって非常に大きな発見です。なぜなら、この炭化物を採取して放射性炭素年代測定を行うことで、このエリアがいつ使われていたのかを正確に特定できるからです。
柱穴の配置を分析すれば、かつてそこにどのような木造建築や屋根が架かっていたのか、当時の空間の使い方がさらに詳しく見えてくることでしょう。
考えてみよう!
- なぜ一番新しい層が焼けていたのだと思いますか?
- 古代、このエリアはどのような姿をしていたと思いますか?
- かつての住人たちは、このスペースをどのように使っていたのでしょうか?
私たちは、回収されたすべての資料を分析したあと、この場所でどのような活動が行われていたのかを復元するための、より多くの情報が得られることを期待しています。
床(Floors)
フロントB(Front B)の構造物の一つにおいて、3つのレベル(層)の床が確認されました。さらに、フロントBにある基壇の東側では、少なくとも3つの建設時期にわたる「タリュ(傾斜壁)」も特定されました。
重なり合う建設跡や水路など、さらなる発見
「石柱の広場」の北側エリアの発掘では、地盤(岩盤)にたどり着くために、気が遠くなるほど深い穴を掘る必要がありました。中には、現在の広場の地面から3メートルもの深さに達した地点もあります。
この大変な作業のおかげで、いくつもの建設時期(フェーズ)が、文字通り「積み重なっている」様子を記録することができました。これは、当時の建設者たちが周期的に、広場全体の地面を数メートルもかさ上げするという、とてつもなく労力のかかる工事を行っていたことを意味しています。
- これらの構造物を造り上げるのに、一体どれほどの時間がかかったと思いますか?
- この種の建設計画を完了させるために、どれほどの人数と労働時間が必要だったと思いますか?
下の写真は、このエリアで確認された、高さの異なる2つの床面です。
赤い顔料が残る彫刻石
2015年度の調査で見つかったさらなる発見の中に、土台部分が丁寧に彫り込まれた彫刻石(スカルプチャーストーン)があります。
ここでは、「チャルチウィテス(chalchihuites)」と呼ばれる同心円状のシンボルが刻まれ、赤く塗られた石板をいくつか見ることができます。中には、少なくとも3層にわたって顔料が塗り直されているものもありました。何度も重ね塗りをすることで、鮮やかな赤色の外観を保ち続けていたことがわかります。
これらの石は何に使われていたと思いますか?
今後の発掘調査によって、これらの空間の建築的な形や機能がより正確に復元されることが期待されています。
調査エリアの西端
フロントCの西側では、垂直や傾斜(タリュ)など様々なタイプの壁が見つかり、非常に複雑な建設・再建の歴史が明らかになりました。これらの壁も火にさらされた可能性があります。
また、最大で5層もの床面が重なって見つかっており、この場所が非常に長い期間、何度も作り直されながら使われてきたことを物語っています。この複雑な歴史を紐解くには、今後のさらなる調査が必要です。
謎に包まれた「火災」の跡
遺跡のいたるところで、建物が焼けた証拠が数多く見つかっています。ここで一体何が起きたのだと思いますか? 現在進めている様々な分析の結果から、この「火災イベント」がどれほどの規模で、どのくらいの期間続き、そして何が原因だったのかが明らかになると期待しています。
盗掘の被害と地下室
この焼けた構造物の西側では、少なくとも2層の床面と地下室が確認されました。しかし残念なことに、このエリアとその上を覆っていた小さな基壇は、過去に盗掘(持ち去り)の被害に遭っていました。
その穴には何が入っていたのでしょうか?
誰かが中身を持ち去ってしまったため、今となっては知る由もありません。
略奪が起きたのはアステカ時代なのか、あるいはもっと現代に近い植民地時代以降なのか、その時期も今のところ分かっていません。
古代の排水システム
古代のテオティワカンには、排水システムがあったことをご存知ですか?
西側のセクションで発掘されたクアドラントの一つから、排水溝(チャンネル)が発見されました。次の写真でその様子を見ることができます。
部屋(Rooms)
発掘された構造物の一つには、少なくとも2つの「部屋(ルーム・ブロック)」が含まれていました。
これらのエリアは特に興味深い特徴を持っています。
床面には2つの柱穴(ポストホール)がはっきりと残っており(下の写真参照)、さらにこれらの部屋からそう遠くない場所で、「再葬(二次葬)」の跡も確認されました。
上の写真から、部屋の一つは放棄される前に焼かれた形跡があることがわかります。また、興味深いことに、地盤(岩盤)は現在の地表から4メートルも下に位置しており、「建設セル」を使って床の高さを上げていたことも判明しました。
この2つの部屋には、どのような機能があったのでしょうか?
古代のテオティワカンの人々がこの場所を使っていた頃、どのような姿をしていたと思いますか?








